「奈良町ってどこですか?」とよくいわれるのですが、奈良町という町はありません。奈良時代に平城京の下京と呼ばれていた場所で、神社仏閣が多いことが特徴。
ここでいう「奈良まち」は、おもに16世紀の中頃から、衰退した寺の境内を利用して民家が建てられてできた町のこと。道幅が広かったり狭かったりと大変味わいのある町となっています。
ただ建物が古いというだけでなく、そこに住む人々が長年培ってきた歴史の重さと生活の積み重ねを感じさせてくれます。
初めて訪れてもなぜか懐かしさや安心感のある、そんな場所です。
奈良まちを歩くといろいろな町名があることに気付きます。
「餅飯殿町」「不審ケ辻子町」「阿字万字町」など、いかがですか皆さん読めますか?私は全く読めませんでした。
この「奈良まち」に来た人がかならず訪れるという「奈良町資料館」。
館長の南氏が長年かけて集めた貴重なコレクションが展示公開されています。昭和59年の開館は、奈良まちで私設資料館の先駆けだったそうです。江戸から大正にかけての広告の原点といえる商家の看板コレクションは実に800点に及ぶ。
その一部を展示するほか、江戸から大正にかけての生活のぬくもりが感じられる民具類、美術品、仏像、民俗資料などがところ狭しと並べられており、当時の生活感や空気を感じることができました。
奈良まちの「庚申さん」(コウシンサン)・・・お猿さんの神様のことです。庚申の日があり、その夜に、人の身体のなかに住む「三尸の虫」(サンシノムシ)が、睡眠中の身体を抜け出し、昇天してその人の悪事を天帝に告げ口しにいくそうです。その報告によってその人の寿命が短くなるというので、人は三尸の虫が嫌いなコンニャクを食べて虫が抜け出さないようにし、徹夜で庚申さんの供養をしたそうです。今は徹夜の風習はないそうですが、庚申さんを手厚くまつる気持ちに変わりはないとのこと。
奈良まちの家の軒先には真っ赤な猿のぬいぐるみが吊り下げられているのが目につきます。これは庚申さんのお使いの猿をかたどった「身代わり猿」というお守りです。家の軒先に吊るし、災難が入ってこないようにするとともに、道中を歩く人達にも災難が降りかからないようにしているのだそうです。なんとこのお守りと同じものが敦煌の洞窟で発見され話題を呼んだことがあるそうです。身代わり猿はシルクロードを通って、その終着点・奈良に伝わった由緒の有るお守りだと、奈良町資料館の方に教えていただきました。
少し歩いたところにある「道祖神社」にお参りに。
なんとここは「博打の神さん」として有名。境内に荒神といわれる大石の道祖神を祀ってあり、この石のかけらを持っていると勝負事に強くなれるそうです。それを聞くと行かないわけにはいかないのですが、実は由来を聞くと昔、この神様が御霊神社の神様が博打をして負け、破れた蚊帳まで質にいれたということでした。勝負事に負けたにもかかわらず、今では勝負事の守護神と呼ばれています。負けの苦しさを知っているだけに博打打ちの強い味方になってくれるということなのでしょうか?
まだまだ「奈良まち」の一部しかご紹介できませんでしたが、ほかにも沢山の見どころがあります。歴史を感じ、なんとなく落ち着く風景がここにはありました。
t.s